このページは、現在はあまり知られていないむかしの唐津をとりあげて見ました、今は当たり前にあるのに昔はなかったとか、昔はあったのに今はもうないとか、そういったお話しです。
今の唐津はとても順調に発展しているのかと考えた時、発展しているよりむしろ寂れてきている感がいなめないと思うのは私だけでしょうか?筑肥線は電化されてかなりの月日がたちますが利用者もさほど増えていないし競艇場も利用者減で中心部の商店街も空き店舗が目立ち人通りもまばらでははないでいょうか、また海水浴シーズンは市内が大渋滞したり港もあじ・さばの水揚げも相当のものがあったはずです、特に人口が爆発的に増えてほしいとは思いませんが、たくさんの人に唐津に来ていただき活気と賑わいのある以前の唐津市に戻ってほしいです。
そんな活気のあった明治から昭和あたりのお話です。
今はそこにあるのがあたりまえの唐津城ですが以前はなかったのです、元々唐津城は天守台はあったのですが天守は作られなかったようです、昭和41年頃に現在の様な模擬天守が観光振興の目的で造られたようです、また舞鶴橋もまだありません。
浜崎から市中心部をへて佐志の唐房入口までの間を唐津起動という汽車が走っていました。
●上左は虹ノ松原の中を走るガソリンカーです。
●上右は唐津くんちの写真ですが、右側にレールが敷設されています。
●下左はほぼ同型の模型です。
●下右は唐房入口付近の最近の写真ですが歩道橋の上から呼子と湊に分岐したあたりを写しています。
写真で2トンくらいの幌車が写っていますがその後ろの空き地(以前は市内バスの待機所)のあたり
に機関庫があったそうです。
西の浜の海水浴場を写した写真です、今はこんな桟橋なんかありませんが小さい頃にこんな桟橋があったらどんなに楽しかったでしょう、この上を走ってドーンと飛び込みたいですね、子供には大受け間違いなしです。
現在は大成小学校跡の運動場に引き込まれる曳山ですが昭和のはじめ頃までは、本当に西の浜の海のそばまで引き込んでいたそうです。この時代でもおしゃれをして曳山見物している感じでやはり特別な日だったのでしょう。今より3倍4倍の距離を引き込むのは大変な力が必要だったでしょうが、見る側には見応えたっぷりです。
唐津湾に浮かぶ鳥島はイカダレースや遠泳大会で親しみのある一番みじかな島ですが、昭和30年頃には何と料亭があったのです、その名は玄洋閣といったそうです船着場があって当然、船でしか行けませんが何か楽しそうな感じがします。水や食材を運ぶのは大変だったかも知れないですね、私たちが小さい頃は鳥島にはさるがいるとか噂されていましたが、どうなのでしょうか?
唐津港が一番賑わった頃の西港です。
後ろの山は大島です、手前の海にはたくさんの船が停泊しています、唐津炭田の最盛期の頃で当時は日本でも有数の輸出港でした。大島も陸続きになり積み出し用の線路も敷設されました。
唐津の古い写真です。
●上左 賑わう東の浜海水浴場です。
●上右 昭和初期の大手口付近でこの建物は舞鶴百貨店です(最近取り壊されたその前の建物です)
●中左 城がない満島山です、舞鶴橋もありません。
●中右 筑肥線電化で無くなりましたが旧東唐津駅です、当時は唐津の代表駅でみどりの窓口もありまし
た。
●下左 栄町のあたりに競艇場があった頃の写真です。
●下右 40代半ばより上の方は覚えがあると思いますがシーサイドヘルスセンターです、色々な歌手の
ショーなどが開催されていました、入口にあしか?がいたのを覚えています。
上の写真右下の三角をクリックでスライドショーになります