【筑肥線のはなし】

筑肥線は、その名のとうり筑前と肥前をむすび唐津から博多に伸びその後伊万里までの全線が開通し博多伊万里間が筑肥線です。

唐津に育った私には一番馴染み深い身近かな路線です、筑肥線は.大正7年10月に北九州軽便鉄道(のちに北九州鉄道に社名変更)として発足して大正14年6月に博多までつながりました。

そののち伊万里までつながり筑肥線が完成しました。

北九州鉄道は地元唐津の有力者達の尽力で、幾多の資金難や技術面を克服して工事が完成したことには頭が下がる思いです、そんな苦労の末に完成した北九州鉄道でしたが、明治40年7月の鉄道国有法のため日本国有鉄道に吸収されて、国鉄筑肥線となり、現在はJR九州の筑肥線として電化されて駅の数も増えて多くの人に利用されています。

唐津の人々の尽力で作られた現在の筑肥線ですが、福岡都市圏の拡大で駅の数が増えて福岡近郊の人には便利になったかもしれませんが、唐津の人からすれば所要時間が長くなり逆に不便になり、鉄道よりもバスのほうが早く博多に着けるとゆう事で鉄道離れが進んでいる事は悲しいことです。

大都市の私鉄のように特急とまではいいませんが、急行をたくさん走らせてもらうと唐津までの所要時間も短縮されて利便性も向上し西部の利用者も増えるとおもいます。

そのためには福岡の地下区間も空港・博多・天神のみ止まるようにすれば45分から50分くらいで唐津まで行けるのではと思いますが、福岡市が絶対反対しますね。

 

上の写真は昭和50年前後の旧東唐津駅です。

現唐津ロイヤルホテルの場所に駅と気動車区があり唐津の代表駅でみどりの窓口もありました

。北九州鉄道時代に川幅の広い松浦川を渡す資金と技術的に困難なために東唐津(満島)に駅が作られました。(唐津線の唐津駅とはつながっていませんでした)

私の父は、この筑肥線や唐津線の機関士として長く蒸気機関車そして気動車の運転をしてきましたので特に思い入れの深い路線です。

朝夕のラッシュ時や海水浴シーズン等は乗客が多くて編成も8両に及ぶ事もあったそうでホームに丁度良い位置にピタリと止めるのは難しかったそうです、乗客の多少や天候及び車両の長さなど微妙に変化するからだそうです。

博多近郊では乗客も多くなり乗り降りに時間がかかり定時運行も大変だったようです、現在のように列車本数も多くなくて40分から1時間に1本程度の運行では相当の混雑ぶりが想像できます、まだまだマイカーも普及していない時代ですからね。

 

 

 

 

【北九州鉄道時代の車両】

左の写真は北九州鉄道時代のガソリンカーです、大正時代としては時代の最先端を行っていたのではないでしょうか?中々斬新で流線的な曲面の車両です。

このガソリンカーはのちに大分の私鉄に譲渡され耶馬溪あたりで活躍していたようです。

【電化前の筑肥線】

上左 旧東唐津駅舎です、駅前には客待ちのタクシーがたくさん止まっています昭和タクシーか観光タクシーのようですね。

博多に行くには、市内バスかタクシーを利用して東唐津駅まで行き列車に乗り換えるしかなかったです。

 

上右 駅舎に入ると真っ直ぐに伸びるホームガありました1面2線で左側が博多行きで右側が伊万里行きが発着していたように思います。

ホーム左側には東唐津気動車区があり点検修理が行われていたり、たくさんの気動車のねぐらとなっていました。

 

下左 筑肥線で活躍した気動車で写真右側はキハ58系(急行平戸)左側にキハ35系が連結されています、東唐津区には急行型のキハ58系は配置されていませんでしたが、輸送力の不足の為、他区の急行型を増結して補っていたのでしょうか?もうこの当時から福岡近郊のラッシュは大変なものがあったようで、単線では本数が増やせずその為1編成の数を増やして対応していたのではないでしょうか。

 

下右 旧東唐津駅の上空写真です。(現ロイヤルホテルの場所になります)

左に松浦川が流れていて行き止まり式の駅である事がわかります、博多からの列車はここで進行方向が逆になり伊万里方面に向かっていました。

 

【電化前日のささやかなセレモニー】

昭和58年3月21日筑肥線電化の前日にふるさと駅さよなら列車と題してさよなら列車が一往復運行されました。

博多側からは8時32分発の529D東唐津側からは14時30分発の546Dの定期列車でにわか仕立ての記念列車となりました。

この翌日から気動車から電車(103系1500番台)に変わりました、それと同時に東唐津気動車区も廃止され福岡・唐津の両側で多くの駅も廃止されもう二度と列車が走ることはありません。

上の写真はさよなら列車の出発式の様子です。

博多駅一番ホームで筑肥線の専用ホームでした、明日からはもう筑肥線車両が入線することはありません。

【電化前後の筑肥線】


昭和50年頃になると福岡都市圏の拡大で福岡近郊の朝夕のラッシュは慢性化し筑肥線の輸送力不足が、顕著となり小手先の手法では解決できなくなってきていました、また福岡市内では自家用車の普及もあり西鉄の路面電車が交通渋滞の原因の一つとなっており市営地下鉄の構想が浮かんでいて国鉄と福岡市両者の利害が一致したのでしょうか、福岡市営地下鉄に国鉄が全面的に協力する形で相互乗り入れが実現して現在の空港線ができることになりました。

当時の国鉄は巨額の債務があり筑肥線に投資ができずにいました。

本来ならば利用者の多い路線(幹線)でもあるので複線電化して市街地は高架化して博多に乗り入れるのが理想的なはずなのですが、無い袖は振れないという事で、単線で気動車が一時間に一本程度の本数しかなく市街地では踏切も多くありこちらも交通渋滞の原因になっていました、そこで国鉄は姪浜博多間を廃止して姪浜から地下鉄に乗り入れて博多に至るという選択をしました。

唐津側でも市の中心部から離れた東唐津駅からでないと列車で博多に向かうことはできず鉄道の近代化が待望されていましたそこで東唐津山本間を廃止して虹ノ松原駅の先から高架化して建設中止となった呼子線の橋梁を利用して松浦川を渡り唐津線唐津駅に乗り入れることになりました。

東唐津気動車区も廃止されて唐津線の終点の西唐津駅にあった西唐津機関区と統合されて唐津運転区ができました。

ここで筑肥線の電車と唐津線筑肥線の気動車の車両基地ができました。(筑肥線の唐津以西の山本伊万里間は非電化のまま残され気動車で運用されています。

上の写真は電化時に投入された103系1500番台の車両で、東京大阪以外では初めて54両が新製投入されましたが国鉄の財政事情と列車密度の関係で一世代前の抵抗制御車となりましが、アコモデーションは203系に準じた仕様となったようです。

結構いい歳の女性が最新のファッションで着飾ったようなものでしょうか、対する福岡市営地下鉄車両は、金に糸目はつけないから日本一の車両にしたいといった感じで国鉄の全面協力のもと当時の理想に近い車両が出来上がりました。

福岡市は今まで市営のバスもなければ、鉄道設計や運営などしたことはなくすべてにおいて国鉄まかせでした、そこで国鉄は自分たちの理想に近い鉄道設備を設計しましたので現在でも福岡の地下鉄は、さほど古さを感じません。

つまり福岡の地下鉄は国鉄なしにはできなかったでしょう。

そんなこんなで市営車両と比べられるとかわいそうな103系ではありましたが、順次新型の305系に置き変えられるようです。

けれども、それまでの冷房もない気動車から新型の電車に変わるときいて寂しさもありましたがなんとなく嬉しかったですね。

前原唐津間ではもうしばらくは短編成の103系は見られるようですが、新製投入時のライトブルーにクリームの帯のカラーリングが復活してほしいと思うのは私だけでしょうか、いやたくさんみえるのではないでしょうか、筑肥線には

この色が一番合っています。

 

 

 

 

 

上の写真右下の三角をクリックでスライドショーになります。

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